三好達治bot(全文)

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「係蹄」『駱駝の瘤にまたがつて』

 あの砂山のかげから、靑い海と、鷗の群れを見たときに、人々から遠くはなれて、私がはじめてそこまで出かけていつた時に。
 その時私の心は、最初の病氣に苦しんでゐた。海は靑く、太陽は高かつた。遠く故鄕を出て、私がそこではじめて見たものは何であつたか。ああその風景は、今日もなほ私の眺望にかかつてゐる。
 進步とは何であらう。人生は水車のやうなものだ。永い輪𢌞は、一つのところで𢌞つてゐる。
 噫あの砂山のかげできいたさざめき、笑ひごゑ、沈默、またそのやさしい歌ごゑに影をかざして遠く砂丘を越えていつたパラソール。
 かうして人生は暮れてゆく。今日またおとろへた私の視力に、くもつた眼鏡の遠景に浮んで見える、その風景は夏の日のまつ晝ま、ツルゲニェーフや獨步を讀んだ日のあの砂山、靑い海と、鷗の群れ、ふつくらとしたちぎれ雲のかず、――さうして思出の遠い祕密の方角へ消えていつた歌ごゑ。
 すべてはあの日に何を意味してゐたのだらう。その意味は解きがたく、今日もまた私の心に浮んでくる。まことに人生には進步がない。それは水車のやうなものだ。ものうい輪𢌞は一つ所で𢌞つてゐる、𢌞つてゐる。
 私は今日、水車小舍のそばを通つた、ふとその路傍に佇んで耳を傾けた。さうして私は、なほこの係蹄の中で、もどかしく一つの未知の眞理を夢みながら歸つてきた。

 

 

三好達治「係蹄」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「沈黙」『駱駝の瘤にまたがつて』

 おだまり!
 とフランシス・ジャムは、ある夜ふけ、唇に指をおいて、自分に命じた。ああこの日頃、またしても人々は、私の詩(うた)を否定する。彼らはそれを切りさいなむ。それらの勝手な組合せで、彼らは私を否定する。ああその批評で、彼らはつひに何人の耳を掩はうとするのか。
 しかし、おだまり!
 とフランシス・ジャムは自分に命じた。
 けれども私には、私の耳には、今宵もあそこに、ミューズの竪琴の聲が聞える……。
 そこで私もフランシス・ジャムに學んで、ある夜ふけ、ひそかにかう自分に命じた。
 おだまり!
 この日頃またしても人々は、私の詩(うた)を否定する。彼らはそれを切りさいなむ。それらの勝手な組合せで、彼らは私を否定する。ああその批評で……、とそこまできて、私はそこで、私をさへぎる一つの壁にむきあつた。
 しかしおだまり!
 と私はやはり、それでもフランシス・ジャムに學んで、自分に命じた。
 けれどもおだまり! 私には、私の耳には、今宵もあの、ミューズの竪琴の聲は、聞えないから……。
 …………………
 おだまり! おだまり! ながく辛抱して……。

 

 

三好達治「沈默」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「桐花 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

  門を出て

門を出て數步の石に
靑薄ひともと生ひぬ
こぞありしひともと薄
常なきは人の世にこそ

 

  春たけて

春たけて去りし海どり
雪ふらばまた歸りこん
濱松に波のうねうね
虛しきか日は高しらす

 

  蜑女の焚く

蜑女あまの焚く煙ひとすぢ
彼方にもここにもたちて
隣家に桐の花咲く
この日ごろわが庭は茄子なす

 

  丘のべに

丘のべに桐の花咲け
未だ爐もふたがでありぬ
パイプ古り主も古りぬ
世にさかる心にあらね

 

 

三好達治「桐花 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「村酒雑詠」『駱駝の瘤にまたがつて』

  日もくれぬ

日も暮れぬ が盞を
みたせただ餘はそらごとぞ
己がうた をみづからうたへ
月やがて松にかからん

 

  盞は

盞はちひさけれども
ただたのむ夕べの友ぞ
おほかたはひとをたばかる
世にありてせんすべしらに

 

  爐に臥して

爐に臥して憂ひをいだく
肱枕さむきをのべて
ありなしとしたむ盞
鳥よりもくしきこゑしぬ

 

  月山の

月山の端をいでたれば
われもまたいほりをいでぬ
人の子のおろかを笑へ
かなたにも友はすまぬを

 

  いささかの

いささかの酒にまぎれて
あでどなく渡る橋かな
あかあかと灯はともれども
人けなき河尻の驛

 

  帽をうつ

帽をうつ霰の音や
望の月やがてかげなし
潮ざゐはかのはるかにて
ただ明し波止の燈臺

 

  死後の名は

死後の名はとにもあるべし
一盞の酒にもしかず
わが師かくのらしたまひぬ
われは師の言にしたがふ

 

 

三好達治「村酒雜詠」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「急霰 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

  霰うつ

霰うつにもねむるや
山兎山鳩野雉のきじ
この宿の主じはひとり
やぶれたる夢をむすばず

 

  沖ゆ來て

沖ゆ來て松に聲あり
けたたまし軒を走りて
つかのまやはらら聲たゆ
たま霰ゆくへをしらず

 

  わが庭の

わが庭の石うつ霰
松こえて海にはせいる
日に三たび港に舟の
はててのち夜には七たび

 

  霰ふる

霰ふる庭に剪らせて
わななくをさしはさみたる
菊一枝 花二輪
みなし子のごとく相寄る

 

 

三好達治「急霰 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「残紅 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

  殘紅

憂しといとひしすゑの世の
ちまたもけふはこひしけれ
日すがら海のこゑすなる
軒端にのこる花はまれ

 

  くつわ蟲

黍の穗たかく月いでて
秋は越路のくつわむし
くつは蟲とてましぐらに
海になくこそあはれなれ

 

  鉦たゝき

すずしき鉦をとをばかり
たたきてやみぬ鉦たたき
よべの歎きをまたせよと
あとはこゑなき夜のくたち

 

  燈下

ふみをおほいてあればつと
こなたにわたる鳥のこゑ
つねなきものはおしなべて
夜をひとこゑのゆくへかな

 

 

三好達治「殘紅 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「炉辺 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

  くれなゐの

くれなゐの花はみな散り
よき友はみなはるかなり
神無月しぐれふる月
こぞの座にわれはまた坐す

 

  いとはやく

いとはやくひと世はすぎぬ
天命を知るはこれのみ
くさびらを林にとると
腰たゆき時雨びとはや

 

  わがうたを

わがうたをののしる人
ものいふがままにまかせつ
にごりざけ窓にくむさへ
ともはなきけふの日ぐらし

 

  又

わがうたをののしる人を
いかにわがうべなふべしや
いなまむもことはしげかり
耳ふたげきかざるまねす

 

 

三好達治「爐邊 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)