三好達治bot(全文)

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「寒庭」『百たびののち』

しぐれ空に山茶花󠄁の花󠄁が咲󠄁いた
どこやらでそこここでせつせと機械の音󠄁のする場末町
陽ざしの乏しいしめつぽい貧󠄁しい庭󠄁に
寂しい庭󠄁のかた蔭に紅につつましくなにげなく
こころは高くけふの季節をひきとつて
その紅は花󠄁瓣のふちに一刷けわづかにほのかに鮮かに
それでもそれは忘󠄁れずに その一刷けは
忘󠄁れず數へてていねいにその數を並べてみせるこの花󠄁の
私は知つてゐる また甲斐もなく摧け易くさりげなくこゑもなく散り易いのを
私はかねがね知つてゐます 舊い友よ 私はその日さう呟いたが
今日もうその花󠄁は根かたの土に散つてゐる
落ちつく先はとにもあれ とばかりその途󠄁の隣りの靑木の葉つぱの上にもとまつてゐる
しぐれの雨に土の上にその紅は眼に痛くなほ色も褪せずに
なべての思出よ 冬󠄀のつめたい土のもと 地下のはるかな暗󠄁闇に
また鵯どりの啼きすぎる雨空にまで……

 

 

三好達治「寒庭」『百たびののち』(S50.7刊)

「不知火か」『百たびののち』

——不知火か あらず 漁(いさ)り火
夜もすがら 漁り火を見る 夜もすがら
天低うして風は死し
はてなき時の脈搏のみ
こなたに やをら うちかへす闇の起き伏し
まどかなるそが胸に かがやかに とおくはるかに
——不知火か さなり虛しく
おきつらねたるものを喪ふ
さらばこの闇黑の點じ出でたる莊麗を
夜もすがら漁り火を見る
遠くはるかに かがやかに さては八束(やつか)に
肩の邊に いまわが見るは
短夜を 昨日を今日に 漁り火の かの不知火の 點じ出でたる闇なるか
明日の來て 誰れびとの手かかぐるものぞ かくはてしなき偏在を
師よ 友よ 海(うな)さか越えて われもまた卿らの方に步むものなり
厩舎の戸ぼそ曳き出でて かの轡(くつわ)づら
解き放ち放つごとくに 家畜らを ひろ野の牧に
己(し)が影を かい放ちやり……

 

 

三好達治「不知火か」『百たびののち』(S50.7刊)

「私の耳は聞いてゐる」『百たびののち』

ああ最後に 私の耳は聞いてゐる 極北の海の けふも大きな怒りをもたらして轟くのを
私には何も見えない 見えないけれども と彼は呟いた
何ごとの囘想にふけつてゐるのか 五萬年も古い人間の歷史よ
汝の貪慾に 汝はなほもあきないか
かく彼は呟いて 乏しい日ざしから腰をあげた
獨り者の 宿なしの 盲目の詩人が旅路のはてに
人の住まないツンドラの野をうしろにして
さうして耳を傾けた
ごめの歌 千鳥のつれ鳴き
怒りのすゑにそこにきて打ち上げる波浪の嘆息 小石のささやき
ああこんな日には 空には白い雲が流れてゐるだらう
めあてのない牧場(まきば)をもとめて なほ北方を指してゆく羊雲
五萬年の歷史は もの足りない束の間だつたか
汝の貪慾をすりへらすのに かく呟いて
彼は靜かに腰をあげた
さうして行き方知れずになつてしまつた
彼もまた天空一片の浮き雲のやうな人格だつた
(——つい先日の出來事である)
ごめの歌 千鳥のつれ鳴き 小石のささやき
耳ある者は聽け………
そのあとに無心の聲 無限の時が何を語るか

 

 

三好達治「私の耳は聞いてゐる」『百たびののち』(S50.7刊)

「国のはて」『百たびののち』

國のはて 國々のはて 岬々をへめぐりて
見はるかしたる海の色
晴れし日に ひな曇る日に
人けなき燈臺の窓の硝󠄁子に
しんしんと松󠄁のみどりの痛かりしその空こえて
ゆるやかに聲ありしその風の上に

 

歸りきてまたわが思ふ
小夜ふけの枕べの 夢ならず
眼にさやか 耳にもさやか
うつつなれこそ ふたたびはとらふべからじ
うちかへし
夜衣の袖むなしくかへし

 

かろらなる
海どりの
白き翼の
ただにその
行へを思ふ

 

こと果てぬ
良し

 

すなどりのいささ舟 なりはひの彼方に遠󠄁く
赤き日は沈みたらずや
われをして いざさらばかい放て ふたたびは歎ぜしめざれ
過󠄁ぎし日の方なるものに……

 

 

三好達治國のはて」『百たびののち』(S50.7刊)

「天上大風」『百たびののち』

天上大風 かぐろい風はふき起󠄁り
はるかな空に雪󠄁はふる 雪󠄁はふる
遠󠄁い親らの越えてこし 尾根に峠に
燒き畑に 戰さの跡に雪󠄁はふる 雪󠄁はふる
ふる雪󠄁は 遠󠄁い親らの墓の
一丈󠄁五尺ふりつもる 夜(よ)のくだち 二更󠄁三更󠄁
厩の馬は鼻󠄁を鳴らす 床を蹴る
……またその靜かな朝󠄁あけを 私は思ふ
越(こし)のおき大野の郡(こほり) 溫見(ぬくみ)村二十九の尾根
遠󠄁い遠󠄁い昔は昔 今日はまた
……かく新しい今日の窓から
分󠄁敎場は二階から
藁ぐつの子を迎󠄁へいれ
スキーの子らを迎󠄁へとり
……私の耳にも聞えてくる
ふる國のふるき郡の いやおきの
溫見の村のオルガンのうた

 

 

三好達治「天上大風」『百たびののち』(S50.7刊)

「こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に」『百たびののち』

こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に
梅が一りんさきました
また水仙もさきました
海にむかつてさきました
海はどんどと冬󠄀のこゑ
空より靑い沖のいろ
沖にうかんだはなれ島
島では梅がさきました
また水仙もさきました
赤いつばきもさきました
三つの花󠄁は三つのいろ
三つの顏でさきました
一つ小島にさきました
一つ畑にさきました
れんれんれんげはまだおきぬ
たんたんたんぽぽねむつてる
島いちばんにさきました
ひよどり小鳥のよぶこゑに
こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に
島いちばんにさきました

 

 

三好達治 「こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に」『百たびののち』(S50.7刊)

「灰󠄁が降る」『百たびののち』

灰󠄁が降る灰󠄁が降る
成󠄁層圈から灰󠄁が降る

 

灰󠄁が降る灰󠄁が降る
世界一列灰󠄁が降る

 

北極熊もペンギンも
椰子も菫も鶯も

 

知らぬが佛でゐるうちに
世界一列店(たな)だてだ

 

一つの胡桃(くるみ)をわけあつて
彼らが何をするだらう

 

死の總計の灰󠄁をまく
とんだ花󠄁咲󠄁爺さんだ

 

螢いつぴき飛ぶでなく
いつそさつぱりするだろか

 

學校󠄁といふ學校󠄁が
それから休みになるだらう

 

銀行の窓こじあける
ギャングもいなくなるだらう

 

それから六千五百年
地球はぐつすり寢るだらう

 

それから六萬五千年
それでも地球は寢てるだらう

 

小さな胡桃をとりあつて
彼らが何をしただらう

 

お月󠄁さまが
囁いた

 

昔々あの星に
悧巧な猿が住󠄁んでゐた

 

 

三好達治「灰󠄁が降る」『百たびののち』(S50.7刊)