三好達治bot(全文)

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「馬鹿の花」『砂の砦』

花の名を馬鹿の花よと
童(わらは)べの問へばこたへし
紫の花
八月の火の砂に咲く馬鹿の花
馬鹿の花
三里濱三里の砂の丘つづき
この花咲きて
海どりの白きむらがり
古志(こし)の海日すがらここにとどろけり
朱きふどしの蜑の子ら
松の林にあらはれてわめきさざめき走りゆく
踵(かがと)やくまばゆき砂に人の子の影のすばやさ
そよやはやかへらぬ時を三たびまたこの花さきし
日のさかり
帽の鍔ひろきかたむけ
ひとりわが越えゆく丘の起き伏しに
蔓は蜘蛛手にはびこりて
遠きしじまの紫の花はかろらに息づけり
そよとだに風もふかぬにその花のみなわななける
手にとらばやがてしをれん
ひななれどもろげなる
心もゆかし馬鹿の花
馬鹿の花
あはれ知る人なき濱の八月の
火の砂に咲く
紫の花

 

 

三好達治「馬鹿の花」『砂の砦』(S21.7刊)

「春の日の感想」『砂の砦』

庭に出て樂々と膝をのばさう
艸の上にでて疲れた脚をなげださう
ながいながい冬の日の後に來た
このゆるやかな感情
この暖かい陽ざし
この新らしい季節の贈ものをからだいつぱい
いそいでからだいつぱいにうけとらう
さうしてこのうち烟つた野山の間に
われらの心を獸もののやうに解き放たう
芝生の上でわれらの猫がするやうに
今日はお天道さまの誕生日
君ら若い娘たちも自由の姿勢で
いくらか行儀をわるくしよう
さうしてみんなで飾りけのない話をしよう
それが季節の禮儀にかなふやりかただ

 

春はなんと樂しいのだろう
地球はなんとゆるやかにめぐることだらう
不幸なながい闇夜のやうな戰爭の日は去つた
われらの額から惡魔の鐡の爪は去つた
われら今はかなしい敗北の日にあるが
今日古艸の上に坐つて
われらの前にそそがれる
一碗の茶の
なんと香ばしいことだらう

 

かくて新らしい季節ははじまつた
かくて新らしい出發の帆布は高くかかげられた
人はいふ 日の下に新らしきなし
われらはこたふ 日の下に古きこそなし

 

ゆるやかに白い雲の飛ぶ
春の日はしぼりたての牛乳のやうだ
まつ靑な空の下で
輝く海に降される新裝のヨットのやうだ
ああその舟降ろしの歌ごゑがとほくどこかから聞こえてくるやうだ
われらの耳を地面の方に近よせよう
その歌ごゑはまた地面の底の方からもはるかに聞こえてくるやうだ

 

時は再びかへらない
今日は再びかへらない
われらまたこの春の日を再び愛する時はない
怠け者のわれらの猫も
何か思いあまつた風で庭の地面をかいでみる
そこには萌えでたばかりのほろにがい艸の匂ひがある
弱々しげなすずしく細い艸の根の
白々とした
あはれに一途なよろこびとかなしみとがそこにかくれてゐる
それが今日の命だ
昨日を暗いうしろにすてて
明日の日を前方に夢みる今日の命だ
われらまたくろぐろとしてやはらかい
しつとりと水氣(すゐき)をふくんだ土の上に
氣まぐれなわれらの指さきで山や魚の繪をかいてみよう
いたづら好きなわれらの指さきでもつて
大地に文字をかいてみよう
さうだここにこの地球の上に文字を書いてみよう
それらがわれらの詩だ
それがわれらの歷史だ
それが人間のなしうることの一切だ

 

ああ春はわれらの呼吸をふかくし
春はわれらの心をふかくする
ながいながい冬の日の不如意の後で
堅い氷をおし破つて歸つてくる春の日は
われらの心をのびのびと
今日の烟つた野山の間へ
天の一方へ解き放つ
まだ歌うたふ日ではない小鳥たちも
枯木のままの枝の間で
なんと活潑な羽ばたきをすることだらう
われらみな芝生の上で
われらみなめいめいの夢をみながら
われらの心もまた
やがて明日は歌うたふ前の羽ばたきをしよう

 

 

三好達治「春の日の感想」『砂の砦』(S21.7刊)

「宵宮」『砂の砦』

星が出た
枯木の山のいただきに
星が一つ
今日はもうそこで終つた
今日はもう
小鳥のうたふ歌も終つた
明日の新らしい太陽の外
もう一度
誰が彼らをうたはせよう
彼らは谷間の藪にかへつた
彼らはその塒にかへつた
栗鼠や兎やももんがや
夜出て働くものの外
われらの仲間はものかげの憩ひにかへり
われらはみんな屋根の下にかへる時刻だ
心に仕合せあるものは樂しく今日のひと日をかへりみ
心に憂ひのあるものはしづかにつらい心をいたはる
今はその時刻だ
黃ろく瞬くランプの火影で
わけてまたわれら年老いたものたちは
心もふかく
おのれの影に對する時だ
月の出をまちながら
星たちばかりの靑い夜が枯木の山の空にひろがる
はやいたづらものの星がとぶ
風はすつかりしづまつた
聲あるものははるかな谷川
炭をやく烟が竈の上にまつすぐにたちのぼる
白い煙のすゑはまたやがて遠く棚びいて
木立をめぐり斜面をはふ
――冬は終つた
春はもうすぐそこに來てゐる
この靜かな山
この靜かな山山のとりかこむ夜
犇めきあつた山山の肩の上に支へられた
このたしかな世界
この一劃の深い沈默と不思議な緊張
ながく地面の底に眠りこんだ命の
もう明日は眼ざめるその豫感
ああその神祕な生命の宵宮に
「夜もふけました
お休みなさいお母さん」
旅人の私はさう呟いて
黃ばんだランプの火穗を消す
さうして私の貧しい心も
よろめきながらわななきながら
やがては戸外の星の世界と一つになる

 

 

三好達治「宵宮」『砂の砦』(S21.7刊)

「砂の砦」『砂の砦』

私のうたは砂の砦だ
海が來て
やさしい波の一打ちでくづしてしまふ

 

私のうたは砂の砦だ
海が來て
やさしい波の一打ちでくづしてしまふ

 

こりずまにそれでもまた私は築く
私は築く
私のうたは砂の砦だ

 

無限の海にむかつて築く
この砦は崩れ易い
もとより崩れ易い砦だ

 

靑空の下
太陽の燃える下で
その上私の砦は孤獨だ

 

援軍無用
孤立無援の
砂の砦だ

 

私はここで指揮官だ
私は士官で兵卒だ
砲手だ旗手だ傳令だ

 

鷗が舞ふ
鳶が啼く
私はここで戰つた

 

私はここで戰つた
無限の海
無限の波

 

波が來て白い腕(かひな)の
一打ちで崩してしまふ
私の歌は砂の砦だ

 

この砦は砂の砦だ
崩れるにはやく
築くにはやい

 

これははかない戰場だ
波がきてさらつたあとに
あとかたもない砂の砦だ

 

わたしのうたは砂の砦だ――

 

 

三好達治「砂の砦」『砂の砦』(S21.7刊)

「赤き落日にむかひて」『砂の砦』

赤き落日にむかひて
われは路なき砂をくだり
ひとり砂丘を越えてゆく
遠き日ごろもかかりしに
人の世のげにけながくも暮れてゆく
かかる身空や
よしや頰(ほ)の風にむかひて熱き日も
いまははや泪おちず
冬の日の雲は彼方にみな低く沈みあつまりこごりたり
淡々し 消なば消ぬがに ありはあり
わが袖のひるがへるかげ
枯艸のみだるるなべに
あはれここにもとどまらず
なほ遠く
踵を砂にうづめつつ
ああなほ遠く歸るをねがはず
ひとり砂丘を越えてゆく
かかる日の夢見ごころの そくばくの こは醉ひごころ
赤き落日にむかひて
すぎこし時をさかしまに步むが如く步みゆく――
さなりわがそびらの方にすててこし
人の住む窓のほとり 卑しきものの一切に
何のかかはりあるものぞ
何のかかはり――
かくてこのわななきふるふ情緖のひとり消えゆく方
彼方にさむくかぐろき波はひるがへる
孤獨なる孤獨なるうたのありかのなつかしさよ
絃なかば斷たれし琴の音のごとく
階やぶれ調はみだれて
さだめなくとりとめもなく
わななきふるふ情緖のひとり消えゆく方――

 

 

三好達治「赤き落日にむかひて」『砂の砦』(S21.7刊)

「竹の青さ」『砂の砦』

竹の靑さは身に透る
竹の靑さよ骨にも透る
ああ竹竹
靑く煙つた大竹藪に
鳩が一羽舞ひたつた
夢のやうに羽音もなく
靑い煙にかすんで飛んだ
そのあとをまた一羽
はたはたと斜に空へ拔け去つた
日暮れどきの竹藪は
靜かな海の底のやうだ
かうして私は爪先のぼりに
丘の小徑をのぼつていく
この心は孤獨でさみしい
この心はさみしくひとりものを思ふ
この心は仲間を遠くのがれて來た
この心は冬の野のこの寒い小徑を遠くさがし求めて來た
――ここに一つの決意をさがし求めて來た
すがすがしい竹の林は
時にさやさやと ひそかに あるかなきかに
遠い かすかな ささやきの通り路となる
そのこゑはとらへがたく
そのこゑはすぐ私の肩の上を通つてゆく
それはどこかそこらあたりから
すぐにまたさざなみのやうにしづかに起つて
すぐ私のかたわきをさやさやと通りすぎてゆく
ああ竹竹
矗々として地に生え
その心矗としてひそかに語るもののこゑ
かかる人なき路の上にも
さやかに ささやかに ひそかに語るもののこゑ
ああ竹
竹の靑さは身に透る
竹の靑さよ骨にも透る

 

 

三好達治「竹の靑さ」『砂の砦』(S21.7刊)

「涙をぬぐつて働かう」『砂の砦』

——丙戊歲首に

 

みんなで希望をとりもどして淚をぬぐつて働かう
忘れがたい悲しみは忘れがたいままにしておかう
苦しい心は苦しいままに
けれどもその心を今日は一たび寛がう
みんなで元氣をとりもどして淚をぬぐつて働かう

 

最も惡い運命の颱風の眼は過ぎ去つた
最も惡い熱病の時は過ぎ去つた
すべての惡い時は今日もう彼方に去つた
樂しい春の日はなほ地平に遠く
冬の日は暗い谷間をうなだれて步みつづける
今日はまだわれらの曆は快適の季節に遠く
小鳥の歌は氷のかげに沈默し
田野も霜にうら枯れて
空にはさびしい風の声が叫んでゐる

 

けれどもすでに
すべての惡い時は今日はもう彼方に去つた
かたい小さな草花の蕾は
地面の底のくら闇からしづかに生れ出ようとする
かたくとざされた死と沈默の氷の底から
希望は一心に働く者の呼聲にこたへて
それは新しい帆布をかかげて
明日の水平線にあらはれる

 

ああその遠くからしづかに来るものを信じよう
みんなで一心につつましく心をあつめて信じよう
みんなで希望をとりもどして淚をぬぐつて働かう
今年のはじめのこの苦しい日を
今年の終りのもつとよい日に置き代へよう

 

 

三好達治「淚をぬぐつて働かう」『砂の砦』(S21.7刊)