三好達治bot(全文)

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「日本の子供」『寒柝』

日本の子供
日本の子供
世界一幸福な日本の子供
世界一重い責任と 世界一高い名譽とをになふ日本の子供
正義の戰さにうち勝ち 人道の上に明日の世界をうち建てるもの
日本
日本の子供
世界の地平に輝かしい夜明けをもたらすもの
世界に永遠の平和と 希望と 繁榮とを約束するもの
穢れなき一切の明日の日の新らしき出發をつるぎ にかけて保證するもの
日本
日本の子供

日本の子供
日本の子供
君らの雙肩にある責任 君らの頭上にある名譽
ああそは黃金の如く重く 黃金の如くまばゆく輝きたるを知れ
東西南北數千萬粁の戰場に
昨日きのふ 曠野の草に わたつみに注がれたる君らの父と兄の血潮は
卽ち今日君ら血管に脈うち流るるところの血潮
ああその昨日の正義と勇氣
いかでか明日あす の日に失はれん
日本の子供
日本の子供
世界一重大な使命にむかつて突進する日本の子供!

 

三好達治「日本の子供」『寒柝』(S18.12刊)

「賊風料峭」『寒柝』

昨夜よべ高かりし海の音
今宵またかうかうと怒り高鳴り
いねがての枕べのものさゆらぎやまず
小夜ふけの三更四更
なゐふるひ
家居いえゐさへ時にわななく
ああそは人のこころの
ふかく忍びて
怒りに耐へたるに似たるかな
敵機昨帝都に入り
羶羯せんけつの徒神州の空をき去る
げにこは如何に
われら邉土草莽の身をそばだて
今宵賊風料峭たるに
ただ夜もすがら
こころ苦がきを忍びて
寒枕のさゆらぐをるとこそだに
告げましをあな――

 

 

三好達治「賊風料峭」『寒柝』(S18.12刊)

「師よ 萩原朔太郎」『朝菜集』

幽愁の鬱塊
懷疑と厭世との 思索と彷徨との
あなたのあの懷かしい人格は
なま溫かい溶岩ラヴアのやうな
不思議な音樂そのままの不朽の凝晶體――
あああの灰色の誰人の手にも捉へるすべのない影
ああ實に あなたはその影のやうに飄々として
いつもうらぶれた淋しい裏町の小路をゆかれる
あなたはいつもあなたのその人格の解きほごしのやうなまどはし深い音樂に聽き耽りながら
ああその幻聽のやうな一つの音樂を心に拍子とりながら
あなたはまた時として孤獨者の突拍子もない思ひつきと諧謔にみち溢れて
――醉つ拂つて
灯ともし頃の遽だしい自轉車の行きすがふ間をゆかれる
ああそのあなたの心理風景を想像してみる者もない
都會の雜沓の中にまぎれて
(文學者どもの中にまぎれてさ)
あなたはまるで脫獄囚のやうに 或はまた彼を追跡する密偵のやうに
恐怖し 戰慄し 緊張し 推理し 幻想し 錯覺し
飄々として影のやうに裏町をゆかれる
いはばあなたは一人の無賴漢 宿なし
旅行嫌ひの漂泊者
夢遊病ソムナンビユール
ゼロゼロ

 

そしてあなたはこの聖代に實に地上に存在した無二の詩人
かけがへのない 二人目のない唯一最上の詩人でした
あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに混ぜものなしに歌ひ上げる
作文屋どもの掛け値のない そのままの値段で歌ひ上げる
不思議な言葉を 不思議な技術を 不思議な知慧をもつてゐた
あなたは詩語のコンパスで あなたの航海地圖の上に
精密な 貴重な 生彩ある人生の最近似値を 我らのアメリカ大陸を發見した
あなたこそまさしく詩界のコロンブス
あなたの前で喰せ物の口の達者な木偶でぐどもが
お弟子を集めて橫行する(これが世間といふものだ
文人墨客 蚤の市 出性の知れた奴はない)
黑いリボンに飾󠄁られた 先夜はあなたの寫眞の前で
しばらく淚が流れたが
思ふにあなたの人生は 夜天をつたふ星のやうに
單純に 率直に
高く 遙かに
燦爛として
われらの頭上を飛び過ぎた
師よ
誰があなたの孤獨を嘆くか

 

 

三好達治「師よ 萩原朔太郞」『朝菜集』(S18.6刊)

「桃花李花」『朝菜集』

老松亭々
凾嶺蒼々
柑子山かうじやま こなたにつきて
麥畑かなたに遠く
工場の白き煙突二つ三つ
そそり立つあたりの聚落
天高く
海はか靑し
沖つ波はるかのかたに
かすめるは大島利島としま
邉つ浪は浦囘いつぱい
弓なりに碎けて白し
これはこれおのれいくとせ
住みなれし相模野のすゑ
春の日の晝さがりなり
おのれいま西國の旅
旬日あまりののちに
四肢つかれこころたゆみて
かへりこし汽車の窓べゆ
見なれたる四方の景象
ゆるやかに轉ずるを見つ
感ははた新たなりけり
うたて身は
はやく老いたり
こころざし
むなしくなりつ
とておのれ過ぎしを惜しみ
新しきその味はひの
にがかるをただ沈默す
路のべに日照りかがやき
あなあはれ
桃花李花處々に紅白

 

 

三好達治「桃花李花」『朝菜集』(S18.6刊)

「閑雅な午前」『一点鐘』

ごらん まだこの枯木のままの高い欅の梢の方を
その梢の細いこまかな小枝の網目の先先にも
はやふつくらと季節のいのちは湧きあがつて
まるで息をこらして靜かにしてゐる子供達の群れのやうに
そのまだ眼にもとまらぬ小さな木の芽の群衆は
お互に肱をつつきあつて 言葉のない彼らの言葉で何ごとか囁きかはしてゐる氣配
春ははやそこの芝生に落ちかかる木洩れ陽の縞目模樣にもちらちらとして
淺い水には蘆の芽がすくすくと銳い角をのぞかせた
ながく悲しみに沈んだ者にも 春は希望のかへつてくる時
新らしい勇氣や空想をもつて
春はまた樂しい船出の帆布を高くかかげる季節
雲雀や燕もやがて遠い國からここにかへつてきて
私たちの頭上に飛びかひ歌ふだらう
菫蒲公英 蕨や蕗や筍や 蝶や蜂 蛇や蜥蜴や靑蛙
やがて彼らも勢揃ひして 陽炎の松明たいまつ をたいて押寄せてくる
ああその旺んな春の兆しは四方よもに現れて
眼に見えぬ霞のやうに棚引いてゐるのどかな午前
どことも知れぬ方角の 遠い遙かな空の奧でないてゐる鴉の聲も
二つなく靉靆として 夢のやうに 眞理のやうに
白雲を肩にまとつた小山をめぐつて聞えてくる
ああげに季節のかういふのどかな時 かういふ閑雅な午前にあつて
――人生よ ながくそこにあれ!

 

 

三好達治「閑雅な午前」『一點鐘』(S16.10刊)

「南の海」『一点鐘』

 ひと日わがゆくりなく故紙のひまより見出でたる一片の幼
き文字、南の海と題せり、いづれの年ごろしたためしものと
も今はおぼえね、その嘆かひなほ今日の日のわがものにかよ
ひて多く異ならず覺ゆ、あはれわがさがやとて自ら憐れみて
この集の跋に代えんとす――              

 

 あの濱邉へ行つて、もう一度あの空の色が見たいものだ、――折にふれて、私はよくさう思ふ。
 その空の色は、剃刀などの刄を合せる肌理きめの細かい黃色い砥石の、まだ水の乾かない滑らかなその表面を見るやうな、そんな色合ひの背ろから、旣に水平線の下に沈んだ太陽の餘光をうけて、明るく華やかに、眩ぶしいといふほどではなく、廣袤無限のその西の空一帶 、淨土欣求の理想といふものも卽ち言つてみればこのやうな光澤色彩そのものではあるまいかと思はれるやうに、縹渺とまたうらうらと、染め出されてゐたのである。そのやうな夕榮えは、その一夏に幾度繰かへされたことであらうか。私はまた、黃色い砂礫のうち續いたその砂濱に打寄せる浪の音を、たとへば死別した誰彼の聲音のやうに、もう一度この私の耳をもつては聞くことのできないものとして、さうであるより外のない、うら悲しい氣持で思ひ浮べる。その砂濱の背ろには、それの彼方の、胡瓜畠西瓜畠茄子畠その外の野菜畠を、大わたつみの押しあげる砂丘の群れから遮ぎり禦いでゐたのであらう、ひよろひよろ松の小松林が繩手になつて續いてゐた。
 その小松林の小徑をゆき、濱晝顏の花のしぼんだ雜草の上に腰を下ろして、私と私の友人とは、それからやがてとつぷりと日が暮れて、紀伊も淡路も、鷗の群れも初更の闇に消えてしまふまで、さうしてこの浦曲に泊てた和船の一つに炊爨の火であらう、あかあかと榾火の燃え上るのが物語りめいて水の面に映る頃まで、私達は、――私達は語り合つた。何に就て語り合つたのか今ではもう、すつかりそれは忘れてしまつた。肉親に就て、故鄕に就て、神に就て語り合つたことでもあらう、それはすつかり忘れてしまつた。ただ潮風にぬれて、麥藁帽子のしほれるまで私達は語り合つた、その胸いつぱいの氣持だけは今になほ、時たま私はそれを思ひ起す。
 しかしそれから時がたつて、私は老い、私は變つた。あの樂しかつた夏のひと日を、私の過去の日と、ともすれば私は信じかねる、信じかねる。――。噫、あはれな私になつてしまつた。

 

 

三好達治「南の海」『一點鐘』(S16.10刊)

「春宵偶感」『捷報いたる』

月明の櫻の並木
行く人稀れに
花の香ほのかにして
海の音かなたに高し
春はかくはなやかにめぐり來れど
いま我らの天地は新らしき誕生の前に
慘として 蕭々として
考へぶかく 愼しみ沈默してあるかな
ああかく新らしき道德の國は
無限に悲痛なる犧牲の後に遲々として
そは天界より穢れなき氷河の降り來るが如く
雲表恆雪線のはるかより
そは我らが視界の外より來らんとす
陽春櫻花まさに發し爛漫たれども
家並みな窓をとざし
ひとり波濤の聲のみ
彼方に高く虛空を嚙めり

 

 

三好達治「春宵偶感」『捷報いたる』(S17.7刊)